柚子屋本店 萩陶器モニュメント 貴重な大キャンパス  

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(2009年8月 旅行記から )

 萩焼きの陶器は有名  そこで紹介

現在ビール工場は閉鎖になってました

そして、駐車場にあるので、気になる人しかわからないくらいに、山沿いに立て札があります

 

 

 萩の空から 萩の土から

  萩陶器板モニュメント

農民画家メレー「種蒔く人」を題材としており、萩焼当番357枚でつくられてます。

大型の陶器作品は萩焼きではまだ例が少なく多くの人々に萩焼の魅力が伝わること願い、ここ北長門海岸国定公園内の笠山に設置しました。モニュメントの前の畑には 萩ビール村塾に使用してる二条大麦を植えています。

萩焼は2002年1月国の伝統的工芸品として指定を受けてます

 

設置年月日  2003年11月

陶板制作者 樋屋勝枝

本体構造 鉄筋造り(幅5.17m、高さ7.48m、鉄筋重量3トン)

陶板寸法 全体(幅4.6m、高さ5.6m、陶板の総重量643kg)

       1枚(26.5cm☓26.5cm☓暑さ1.5cm)

陶板枚数  357枚(ヨコ17枚☓タテ21枚)  

 

MEMO0005.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、陶板はこれです

MEMO0004.jpg

 

 

 本当に、あるので宣伝用の看板にしかみれません

 

多くの観光客の脚光はあびず、

  ひっそりしてます 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    MEMO00012123.jpg 

 人が前に立って

 遠近法でこの大きさ

 

  かなりの大きさです・・・

 

 1枚1枚が陶器で焼いてあるのです

  陶器も1枚が同じ色ではなく

   濃淡があり、かなりのすごい技

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 ★萩焼のウンチク★  フリー百科事典参照
萩焼(はぎやき)は山口県萩市一帯で焼かれる陶器。一部長門市・山口市にも窯元がある。長門市で焼かれる萩焼は、特に深川萩(ふかわはぎ)と呼ばれる。

古くから「一楽二萩三唐津」と謳われるほど、茶人好みの器を焼いてきたことで知られる焼き物である。萩焼の特徴は原料に用いられる陶土とそれに混ぜる釉薬の具合によって生じる「貫入」と使い込むことによって生じる「七化け」がある。貫入とは器の表面の釉薬がひび割れたような状態になることで、七化けとはその貫入が原因で、長年使い込むとそこにお茶やお酒が浸透し、器表面の色が適当に変化し、枯れた味わいを見せることである。素地の色を生かすため、模様は地味だが根強いファンが多く、市内界隈には新規を含め、多数の窯元が存在する。

 歴史

萩焼は慶長9年(1604年)に藩主毛利輝元の命によって、朝鮮人陶工、李勺光(山村家)李敬(坂家)の兄弟が城下で御用窯を築いたのが始まりとされる。よって当初は朝鮮半島の高麗茶碗に似ており、手法も形状も同じものを用いていた。坂家の三代までを古萩といい、萩焼の黄金時代である。後に兄弟はそれぞれ別々の流派を生み出したが、李勺光の系統、山村家は後に断絶した。一方で、明治期より苦境に立たされており、その時に休雪が休雪白という独特の作風を確立する他12代坂倉新兵衛が人間国宝の候補になるなどして萩焼を中興している。文化財の指定は意外と時間がかかっており、2002年1月に漸く、経済産業省指定伝統的工芸品の指定を受けた。

 

 [ 日本大百科全書(小学館)[ 執筆者:矢部良明 ]参照
 ]
萩焼(はぎやき)山口県萩市・長門(ながと)市で焼造される陶器。桃山時代の天正(てんしょう)~慶長(けいちょう)年間(1573~1615)、萩藩主毛利輝元(てるもと)が、朝鮮半島から帰化した陶工の李勺光(りしゃっこう)・李敬兄弟に御用窯として開窯させたのを発祥とする。萩城下坂下の東郊松本村中之倉(現萩市椿東(ちんとう))に築窯したので、この系列窯を松本萩といい、李敬を陶祖とした。これに対して兄勺光の一族が1653年(承応2)深川(ふかわ)村三之瀬(そうのせ)(現長門市)に分窯した系統を深川萩という。松江重頼(しげより)著『毛吹草(けふきぐさ)』に萩焼の名がみえ、都でもその存在が知られていたことがうかがえる。1663年(寛文3)三輪休雪(みわきゅうせつ)が松本に三輪窯をおこし、松本・深川の二系統が併存して今日に至っている。

初期萩焼窯とされる松本萩の坂窯の発掘では、茶碗(ちゃわん)、茶入、花いけなどの茶陶に加え、大量の日常雑器が出土している。また釉(うわぐすり)にも褐釉(かつゆう)が加わって今日の萩焼とは大きく異なり、唐津(からつ)焼や高取(たかとり)焼と同様に多様な作陶内容を示しており、藩窯でありながら一般庶民向け焼物も生産対象にあったことが推察できる。

防府(ほうふ)で出土する大道土(だいどうつち)を用い、特有の藁(わら)灰質の白濁釉をかけた、茶陶としての作風が樹立したのは江戸前期と思われ、茶人の間では「一楽、二萩......」と賞玩(しょうがん)された。びわ色の釉をかけた茶碗はわびの風情に満ち、使うほどに釉色が変化するところから「萩の七化け」の俗称がある。遺品には三島(みしま)・粉引(こひき)・刷毛目(はけめ)・井戸・熊川(こもがい)などの高麗(こうらい)茶碗を写したものが多く、割高台(わりこうだい)にも特色がある。

 

 

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