2009年8月 旅行記から
昨日の陶板モニュメントの隣には
夏みかん・橙・柚子・ポン酢・調味料の製造販売/株式会社柚子屋本店
敷地内に設置されている黒御影石で作った「笠山日時計」は必見!です
●住所 : 萩市越ヶ浜明神池上る
笠山日時計
笠山日時計は今から350年ほど前、朝鮮の宮廷内外で公衆時計として使われていた日時計の複製品です。
釜が天空を仰ぎ見る姿の日時計という意味で仰釜日晷(ぎょうひにっき)と呼ばれます。くぼんだ半球型の受影面に特徴があり、太陽が投影する影針の影で時刻と季節の両方を瞬時に知ることができます。
仰釜日晷(ぎょうひにっき)天文学を大いに発展させた李王朝第4代世宗王(1418年から1450年)が開発した。17世紀半ばに西洋式の時刻制度が導入されて制作した仰釜日晷(ぎょうひにっき)が現存しており、韓国の国宝(宝物845号)となっています。
現代の時刻制度は「平均太陽時」を使用してます。日時計は時刻を現代時刻と照合する場合には、「真太陽時」を「平均太陽時」に換算する必要があります。この換算のため「時差補正表」が石盤の前面に刻まれています。
詳しくはポケット冊子{笠山日時計}解説(別売り)をご覧ください。
お店ののぼりが画像に後ろに見えます・・

かなり有名な日時計とのこと
韓国製のオリジナルの仰釜型日時計は
日本では、精巧に製作された
仰釜型日時計が山口県萩市の
「柚子屋本店」にあり、「笠山日時計」と呼ばれている。

時差補正表です
★韓国の日時計のウンチク★ 日時計と旅人ブログより参照
韓国の日時計は半球型の釜のような独特の形をしている。半球型の日時計は日本やヨーロッパはもちろん中国にもなく、韓国のみに現存する特別な形の日時計である。半球の直径はソウルの世宗大王(セゾンデワン)記念館の前にある模造品は80cmほどの大きなものであったが本物は30cm程度のものが多く、3cm位の小さなものもある。
韓国の日時計は、「仰釜日晷」と書き、Aug Bu Il Ku(アウ ブ イル ク)と読む。「晷」の字は日本語にはなく、咎めるという字の上に日のような字を加えたものであるが、以下は便宜上、仰釜型日時計と書くことにする。「仰釜」とは底のくぼんだ釜が天空を仰いでいる形をいい、「日晷」とは太陽の影のことである。
仰釜型日時計の特徴は、半球型のくぼんだ受影面にある。半球内面に投影されるノーモンの影の動きが天空の太陽の動きと相似しており、水平面型日時計に比べると太陽の位置とノーモンの影との関係がよくわかる。
半球型にくり抜かれた内面に時刻線が定時法に基づいて縦線で描かれている。1日は12時間で96刻法(朝鮮後期の時間制度)になっている。日時計の一時(いちどき)が現代の2時間に相当し、一刻が15分に相当する。詳細については後述する。
なお、2003年10月4日に開催された日本日時計の会の総会に続く研究発表会で、西山峰雄氏が、2002年7月2~5日に韓国清洲で開催された「アジア太平洋地域の天文機器、古文献」の国際会議で、羅逸星・名誉教授(NHA Tl-Seong, The Nha Il-Sen Museum of Astronomy)が「King Sejon's Sundial, Augbu Il Gui」と題して講演があったと報告され、そのときの英文梗概が配布され、仰釜型日時計のミニチュアが回覧された。
仰釜型日時計は亀の背に乗っているものが多い。亀は万年生きるといわれている霊獣であり、そのために亀と日時計を組み合わせた縁起の良い置き物にしたものであろう。この形は「世宗実録」(1434年と1437年に発行)という朝鮮王朝の世宗大王時代(1418~1450年)の記録によると元の天文学者の郭守敬(カクシュケイ)が考案したものだという。
日本で公開されている仰釜型日時計は京都の高麗美術館と上野の国立科学博物館の3階の時計の部にある。ここに2個ある韓国の仰釜型日時計は下記の高麗美術館のものと同じ形であるが、白磁製の象牙色のものと青銅製のうすい褐色である。
高麗美術館には「白胎青磁亀形日時計」と呼ばれるものが1個あり、18世紀末のものだといわれている。高麗美術館の仰釜型日時計は常時展示されておらず、特別展の時などに展示されるようで、筆者が2003年7月に訪ねたときには展示されていなかった。
高麗美術館の前に高麗美術研究所があり、文献も所蔵されている。高麗美術館では館報を発行しており、1997年4月1日発行の第34号に、日本日時計の会の後藤晶男会長が韓国の仰釜型日時計について特別講座として寄稿しておられる。この論文で韓国日時計のおおよその知識が得られる。
また、後藤晶男会長が「モノ・マガジン」別冊の平成4年5月15日発行の第216号から平成4年8月15日発行の第223号まで、日時計について連載されたものの第6回が韓国の日時計で、写真も多く載っている。帝塚山「学園春秋」第21号(昭和58年3月20日、77-88頁)にも「韓国の日時計」として発表しておられる。今回の私の韓国日時計の旅もこれらを大いに参考にさせていただいた。
なお、韓国の日時計のほとんどは仰釜型日時計であるが、半球型以外の水平面型や垂直面型のものなどもある。
・高麗美術館、京都市北区紫竹上岸町15、 Tel.075-491-1192
・国立科学博物館、東京都台東区上野公園7-20、 Tel.03-3822-0111
「笠山日時計」
韓国製のオリジナルの仰釜型日時計は日本では前記の数カ所のものが知られているが、精巧に製作された仰釜型日時計が山口県萩市の「柚子屋本店」にあり、「笠山日時計」と呼ばれている。
萩市と韓国京畿道利川市の市民有志が日韓両国の友愛と国際親善を願い、「韓日ワールドカップ共催」の年を記念して仰釜型日時計を製作することを思い立ち、2002年8月に利川市で製作され、夏蜜柑の加工商品で知られている「柚子屋本店」の敷地内に設置され、2003年9月6日に除幕式が行われた。監修は國守進・名誉教授(山口県立大学)があたり、韓国科学事物研究所(宝物コリア)が協力した。
「笠山日時計」は今から約350年前、第4代王である世宗が製作した「仰釜日晷」(韓国宝物845号)の複製である。17世紀半ばに西洋式時間測定法が加わり、それまでの「十二時百刻法」が「十二時九六刻法」に修正された後のもので、17世紀後半・李朝時代の宮廷内外で公衆時計として使用されていた日時計である。日時計の本体は韓国で玉石と呼ばれる黒御影石でつくられている。黒御影石は結晶が光を受けて反射し、近くに寄ると見る角度によっては光の輝きが宝石のように美しく変化する。また、熱膨張係数がきわめて小さいので、測定用の定盤や精密機器の台座として利用されている。15分間間隔の「真太陽時」と季節(二十四節季気)を知ることができる。
「笠山日時計」の設置場所は、本社工場のある萩市椿東字奈古屋1189(笠山中腹海抜44m)、北緯34度30分、東経131度23分である。JR東萩駅より国道191号線を益田方面に約4km、笠山に向う山腹にある。
・柚子屋本店、山口県萩市椿東2552
★日時計のウンチク★ フリー百科事典『ウィキペディア参照
ベルギーのビュートゲンバッハに設置された精密日時計。誤差±30秒。日時計(ひどけい)は、影を利用して視太陽時を計測する装置。紀元前3000年、古代エジプトで使われていたが、起源はさらにその前の古代バビロニアにさかのぼると考えられる。日晷儀(にっきぎ)、晷針。
古代ギリシア及び古代ローマで改良され完全なものができた。これはアラビアに伝えられた。(アラビアの天文学ではこれをノーモン(gnomon)という。)のちに、機械時計が発明されると、それにとってかわられた。現在は、主に庭園や建造物の装飾の一部として設置される。
概説★ 昼間しか使えないこと、晴天時しか使えないことを除けば、古代以来、誰でも見たり使ったりできる時計は日時計のみであった。現在もアナログ式時計を始めとする各種回転式メーター・つまみ式スイッチ・ねじなどの殆どが、右まわり(時計まわり)に行くと数が増えたり機能として用を足す(スイッチが入る)仕様なのは、北回帰線以北では、常に日時計の針がこの向きで回ったためである。 なお、右利きの人は右回しの力が強いから、ねじなど、右回りが多いとも考えられる。
中世に発明された機械時計は当初、誤差が大きかったので、これを補正するためにも日時計は使われた。
日時計の設置★
日時計は緯度によって、指針を傾ける角度を変更しなければならない。大量生産された日時計は、設置場所に合わせて角度を変更する必要がある。日時計の指針の角度が固定されていて変更できない場合は、文字盤そのものを傾けて設置することにより補正する。イギリスでは指針の角度は45°のものが普通である。
完全に正確に動作させるには、日時計の指針は正確に天の北極(ほぼ北極星の方向)または天の南極を向かせる必要がある。日本国内では方位磁針の北は、天の北極から数度ずれているので、磁針を使って設置することは推奨されない。
均時差表視太陽日は完全には一定ではない。これは、地球と太陽の距離や、地球の運動速度が一定でないことに起因する。これによる補正は最大で16分29秒になる。また、夏時間を採用する国ではこれを補正する必要もある。補正用の表は「均時差表」として日時計に添付され、当日の日付が分かると、日時計の示す時刻から何分加算または減算すればよいか分かるようになっている。
日時計の示す時刻は、設置場所の時刻であるが、日本国内ではこれを日本標準時(明石時刻)に調整する必要がある(その他の国でも、必要であれば、それぞれの国や地方の標準時刻に調整する)。日本標準時との差は、設置者が計算しなければならない。5°ごとに20分の差が生じるので、たとえば明石から東へ5°離れた東京では、日時計の時刻から20分を減ずる。固定式日時計では、この差は均時差表の中に組み入れるか、文字盤の時刻をずらすことにより修正する。ただし文字盤の表示をずらす方式は、真ん中が12時ちょうどにならず美しくない。
形状による分類★
コマ型日時計
赤道式日時計
垂直式日時計
垂直式日時計。徳島県文化の森総合公園内のオブジェ
旅行者用のリング型日時計(開いたところ)。実際には閉じて平らなリング状にすることができる
極軸式日時計
カルジオイド日時計
コマ形日時計★
最も単純な日時計は、板の上に垂直に棒を1本立てたものである。アラビアの天文学ではノーモンという。このまま指針を天の北極に向ける。文字盤の目盛りが均等になるという表示上の利点がある。この型のものを日本語ではコマ型日時計という。形状は、丸い円盤の中心に棒を差し、そのまま斜めに立てかけたものを連想すると分かりやすい。
赤道式日時計★
コマ形日時計に似た形式のもので、赤道式日時計がある。文字盤がボウル状になっているだけで、目盛りの振り方は同じである。この形式のものは、第一次世界大戦前まで、フランスで列車を正確に走らせるために使用された。最も正確な日時計はイスラム教の宗教暦(ヒジュラ暦)上の日付をはかるためにインドのジャイプールの権力者(カリフ)が石で造った赤道式日時計である。これは記念碑をも兼ねている。
垂直式日時計 ★
建築物の壁にとりつけるものもある。この場合、文字盤の目盛りは三角関数を使用して計算されるため均等にならない。製造者たちは板を文字盤(face)、棒を指時針(gnomon)と呼ぶ。板は明るい色が望ましい。これは影が暗いためである。棒は、棒でも構わないが、強度の問題があるため、三角形の板状にされることが多い。これをさらに金属で補強することもある。最高級品は大理石で製造される。腐食を抑えるためブロンズで製造されることもある。この構造のものは日本語では垂直式日時計という。建造物が完全に真南を向いていなくても、設計により補正は可能。ただし、1日で最大12時間までしか表示できず、本体が建物自身の影に隠れると使用できない。これを防ぐには複数の壁面に日時計を設置することになる。日本にはあまり見られないが、ヨーロッパ諸国では、多くの人が見られるよう、教会の壁などに巨大なものが設置された。日本では大阪造幣局前の道路にあるが指時針は失われている。以前は造幣局近くの桜宮橋たもとにあったが、いつ・誰が設置したのか分かっておらず、新桜宮橋を架けるため現在の場所に移設された。
庭日時計 ★
庭日時計は最も一般的なもので、文字盤の目盛りは垂直式と同じく三角関数を使用して計算されるので均等にならない。原理は垂直式と同じである。文字盤は地面と平行に取り付ける。地面そのものに設置するのではなく、台をつくりこの上に設置することで、見やすくなる。文字盤をガラス板などで作り、高い地点に設置することにより、下方から見上げるよう設計する方法もある。太陽さえ出ていれば、1台で日の出から日没まで使用できる。
この構造のものは、日本語では水平式日時計という。日本では垂直式よりはこちらのほうが多く設置される。
携帯日時計★
携帯日時計は野外天体観測のため、または宗教的行事を行うために中世に開発された。最も成功した携帯日時計は、ディプティクという、2枚の文字盤が、ヒンジで固定されているものだった。指針は、文字盤の間に通された紐である。紐がぴんと引っ張られたときに、2つの文字盤はそれぞれが水平式と垂直式の文字盤となった。最高級品は、白い象牙に黒のラッカーで文字を記したもので、紐は絹糸かリンネルで作られた。
ディプティクのヒンジが地面と平行で、2つある文字盤が同じ時刻を指したとき、時計は正確に視太陽時を示した。さらにこのとき、ヒンジは真北を示す。またこのとき、紐でできた指針と地面との角度は、その地の緯度をも示すことになる。
2つある文字盤による調整は、正午前後と日没直前、日の出直後は使用できない。しかし、午前9時か午後3時ごろの誤差は4分である。
これは、ディプティクが、方位磁針や緯度計測器の役目も果たしたということを意味する。いくつかのディプティクは、緯度計測のために、目盛りとおもりのついた紐もついていた。また、地理的な角度測定をするための羅針図付きのものもあった。大きなディプティクは古代において(船などの)操縦に使用された。小さくポケットサイズのものもあった。
最も小さな携帯式日時計は、穴付きの突起がついた指輪や、ネックレスにつけられた装飾だった。これは日時計を所持していることを知られないようにするための細工でもあった。日光に当てると突起部分の影は指輪自身にかかり、その内側に記された目盛りで時刻を知ることができる。この形状のものは、観測者は今が昼か夜か、午前中かどうかは知っている必要があった。突起についた穴の位置は緯度により調整する必要があるため、この部分は動かして穴の位置が変えられるようになっていた。これは主に塔などに幽閉された人物などがこっそり使うためのものだった。
最近は、アメリカ軍の特殊部隊員の間で、ナイフに日時計を刻むのが流行している。万一、機械時計が故障しても、これは動作するためである。
日本では、江戸時代に紙の携帯式日時計があった。これは、指針の部分がこよりになっており、立てて影の長さでおよその時刻を知るというもので、当日の日付さえ分かっていれば、それなりに正確に時刻を出すことができた。これは旅人が好んで使い、シーボルトの記述にも残っている。
柱型日時計★
古代ギリシャ人は、柱型日時計(plekhnaton)を開発した。柱型日時計は、水平または椀状の文字盤に、垂直な指針を立てたもので、指針の影の先端が時刻を示す。太陽の高さは季節により変わるので、同じ時刻でも影の先端の位置は変わる。そこで、毎日、同一時刻の影の先端を結んだ線を文字盤に刻めば、補正なしで1年中どの日の時刻も示すことができる。もちろんこの文字盤の線は現代ではあらかじめ計算が可能である。柱型日時計には、晴天時に文字盤の上に人が立つと、その影の先端が時刻を示すという、「かげぼうし日時計」と呼ばれる、面白い構造のものもある(後述)。柱型日時計は、季節により太陽の位置が変化するため、文字盤の表示が複雑になるという欠点がある。通常は、文字盤を2枚用意し、半年ごとに取り替えることで、文字盤の複雑性を回避する。
非常に正確な柱型日時計は、公的広場に文字盤を描き、旗竿のポールを指針にする。
室内柱型日時計★
アイザック・ニュートンは、南に窓がある部屋用の室内柱型日時計を開発した。これには柱がない。窓から入った光を、固定した鏡で受け止め、天井と壁に文字盤をつくった。指針は、鏡によって反射した光そのものである。鏡が小さければ、光の点となって天井や壁を照らすため、これを利用した。毎日定時ごとに天井に印をつけていき、1年かけて時計は完成した。この時計は驚くほど精密に動作した。
その後、1943年に、オルシュティンにあるニコラウス・コペルニクスの居城オルシュティン城で、同じ原理のものが発見された。このため、この型の日時計の発明者はコペルニクスとされる。コペルニクスのものは、城内のある場所に鏡を置くと、反射した光が壁の印を伝うというものだった。ただし、コペルニクスは、1日の間で時刻を知るためにこれを用いたわけではなく、1年の長さを厳密に求めるために使ったと考えられる。しかし、1年という巨大な時間を厳密に計測するための装置であるので、これを日時計と呼んでも特に問題は生じないだろう。
かげぼうし日時計 ★
かげぼうし日時計(アナレマチック日時計)は、英語ではカルジオイド日時計と呼ばれる、柱型日時計の一種である。
これまでの固定型日時計は、指針は文字盤に固定されているのが普通であるが、かげぼうし日時計は、指針が固定されていないのが特徴である。この型は、日付により指針を立てる位置を若干微調整することにより、正確な時刻を求めることができる。多くの場合、観測者自身が文字盤に書かれた日付の上に立ち、その影が時刻を示す。
柱型日時計は、文字盤がかなり複雑になる傾向があるが、この型は文字盤がきわめて簡易である。この型の日時計は、単に地面に文字盤が描かれているだけで、指針が存在しないためである。日本では、西脇市黒田庄町と瀬戸市民公園にあるものが知られている。
正正午 ★
現代、東洋のいくつかの国[誰?]の郵便局は、正午のみを示す固定式日時計を使用して局内の機械時計を合わせている。
さきにも述べたとおり、地球の運動速度が一定でないため、太陽は正午に真南に来るとは限らない。しかし、毎日、正午に日時計の指針の先端の位置を記しておき、これを1年続ければ、翌年以降も正午のみを示す日時計を作ることが可能である。さらにこの影の位置を天文学的な計算から算出し、正午専用日時計をあらかじめ作って設置することも可能である。正午ちょうどの太陽は、数字の8の字を寝かせたような、不規則な位置の変化(アナレンマ)をしたのち、1年かけてまた元の位置に戻る。

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