昨日の続き(2010.1.26)
「国立東京医科歯科大学医学部附属病院」の、御茶ノ水駅と反対側の出入り口です。
ぜひとも、明神甘酒を一度飲んでみたかった・・・
早速、天野屋さんに直行


あった・・・
あった・・・
神田明神
年始の初詣は、すごい行列でした・・・
サラリーマン・OLの人たちが沢山並んでましたね

今日は、梅の花がもう少し・・・の状態

ここが、有名な天野屋さんです
創業してから、400年の歴史あるお店です。
土室で、震災を免れたものが沢山あります・・・

明神甘酒の由来は(天野屋さんHPより)
甘酒は遠い昔からのものですが、
文献に現れたのは、応神天皇が吉野に行幸されたとき醴酒(こざけ)を献上したのが、最初とされています。
その醴酒が『甘酒』となったのは、慶長の始め頃のことです。
やがて甘酒は、江戸市民の日常生活に欠かすことのできない、唯一の《甘味源》となりました。
江戸に散在する甘酒屋に対する人々の評判はつのるばかりで「富士山に肩を並べる甘酒屋」と句に詠まれるほどでした。
「明神甘酒」は、
当店の地下6mの天然の創業当時からの土室(むろ)より作り出される糀(米かうぢ)をもとに、
さらに手を加えて生成し熟成を待って作り上げられたものです。
「明神甘酒」は"生きている自然の甘味"です。

はらいたのくすり の木の人形がお客様をお待ちしてます
メニューは
甘酒400円・冷甘酒450円・・・・

店内はレトロのテーブルが並んでます・・

お庭の先にトイレがあります
店内は時計だらけ・・・
ゼンマイ時計・・・ほんとに、懐かしい・・
今は、電波時計が正確で重宝してますが、何ともこのチクタク・・の音に懐かしさを感じます
左の時計は、文字盤が裏になってます
鏡で見れば、
普通の時計になるのですよね・・・ 面白い・・・



古い時計の看板
歴史を感じます
時計が、いくつもかけられてます

修理もしてます

古時計修理
家の隅で眠っている
時計はありませんか?
どんな状態の時計でも
修理いたします。
想い出の古時計を心
を込めて修復致します。
詳細は店主まで・・・・・
店内をキョロキョロしていたら、甘酒が着ました・・・ヘェ・・・これか?


ほうじ茶が1杯差し出されてます

老舗は、置くが深い
ズーート奥まで、家があります・
高層ビルの中に、
何とも木造の建物がアンバランス
400年の歴史かな・・
★★明神甘酒と天野屋さんのウンチク★★
神田明神が現在のところに移された慶長のはじめ、その社の傍に「芝崎道場」と名付けられた、草庵がありました。
当道場の寒暑忍耐の修行に供した五行珍味の中に《金含豆(こんがんず)》と称し、富貴延寿を祝福するといわれる穀種があり〝神に納める豆〟なる意味からも、納豆に類するものものと目され、これが「芝崎納豆」の前身です。
神田明神名物「芝崎納豆」は、江戸時代からひろく多くの人々に、よろこばれてご愛好いただきました。
●江戸味噌
「白い米飯に味噌汁」実といえば、大根・ねぎ・ワカメそれに豆腐などが朝の食卓に最適です。
そのおいしい味噌の生命は、糀の発行のさせ方にかかっています。理想的な糀の発酵は、そのために必要な温度と湿度を常に一定に保つことのできる、常温帯の天然の土室を前提として一切機械を使わない人間の手による丹念な《さがし》(手をいれること)によってふっくらとしたいい糀ができるのです。
当店の「江戸味噌」は、当店の地下6mの理想的な天然の土室(むろ)からできあがった新しい発酵力の強い糀を元にした、吟味醸造のものです。
いい味噌は生きています。それは生きているいい糀からできあがるものです。
昔から、いい味噌は、〝味噌汁にしてその良さがはじめてわかる〟といわれます。
「江戸味噌」は、塩分を押さえてありますので季節の材料のおいしさが引き立ちます。
●久方味噌
遠い過去から〈味噌・納豆・豆腐〉は、植物性タンパク供給源として、日本人の食生活を支えてきた〝三本の柱〟です。それはすべて「大地の肉」といわれる、大豆の〝変身〟したものです。
その中でも味噌が現在のように味噌汁つまり《飲む味噌》として用いられるようになりましたのは、室町の中頃です。それまでは、漬け物や煮物などの調味料に使われた《食べる味噌》の役割を果たしていました。
さらに遡ると、味噌は、《なめ味噌》として、主食のおかずつまり副食物として、貴重な栄養源でした。
古文書には、「密祖(みそ)」と記され作られたのは奈良時代とされています。
当店の「久方味噌」(なめみそ)は、当店の地下の天然の土室(むろ)から作られた糀(小麦のかうぢ)をもとに、さらに手を加えて生成を吟味して醸造したものです。
●合格甘酒
甘酒は、点滴液に最も近い食品という調査もある、非常にピュアな飲み物です。起きたての脳の活性化を早めるために、脳内アドレナリンを分泌させる環境作りによい、自然のブドウ糖を吸収良い形で飲める唯一の受験飲料です。
★★神田明神のウンチク★★
神田明神(かんだみょうじん)は、
★歴史★
社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのに始まる。神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。
承平5年(935)に敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けた。嘉元年間(1303年 - 1306年)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされた。平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれる。
江戸時代、江戸城増築に伴い現在地に遷座した。江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇され、神田祭の山車(当時は山車が中心だったが、明治に入ると電線の普及等により山車の数は大幅に減少した)は将軍上覧のために江戸城中に入ったので、一名「天下祭」とも言われ、江戸三大祭りの一つと言われる。現在「神田囃子」は無形文化財に指定されている。江戸初期に豪華な桃山風社殿が造営されたが、1923年の関東大震災で焼失した。その後再建され、1945年の東京大空襲では本殿・拝殿などは焼失を免れた。
明治元年、准勅祭社に指定されたが、明治7年、明治天皇が行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門は祭神から外され、代わりに少彦命名が大洗磯前神社から勧請された。平将門神霊は境内摂社に遷されたが、戦後昭和59年(1984年)になって本社祭神に復帰した。
また、野村古胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公・銭形平次が当神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、敷地内の本殿右手横に「銭形平次の碑」がある。銭形平次は架空の人物である。
この神田明神を崇敬する者は成田山勝寺を参拝してはいけない事と云われている。これは当時の朝廷から見て東国(関東)において叛乱を起した平将門を討伐するため、僧寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動明王像と供に現在の成田山新勝寺へ使わせ平将門の乱鎮圧のため動護摩の儀式を行わせた。即ち、成田山勝寺を参拝することは平将門を苦しめる事となるので、神田明神崇敬者は成田山の参詣をしてはならないとされている。
なお、同じく平将門を祭神とする築土神社にも同様の言い伝えがあり、成田山へ参詣するならば、道中に必ず災いが起こるとされた。平将門に対する信仰心は、祟りや厄災を鎮めることと密接に関わっていたのである。
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