旅行 関東・甲信越地方: 2009年10月アーカイブ

 

浅草雷門前は観光客でごった返していた

すごい、賑わいである

 

若い人・外国人が大勢いたが、雷門の前しか見ないことが残念

 

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 雷門=かみなりもん と読む   

この、雷門は忘れられない想い出がある

  

管理人の子供が小学生のとき遠足に浅草に行った

   「あのライモンは、すごく大きいね・・・・」

      「らいもん??」そんなのあったかな??

  おじいちゃんも???何だろう???

 

よくよく話を聞いたら、らいもん→はかみなりもん

 なるほど・・・

   確かに  ライモン→ 雷門→ かみなりもん

 

   正式名称は、 風雷神門(ふうらいじんもん)

 

 大提灯の左右に 

    門に向かって、右側に風神、

 

             左側に雷神が配されてます

 

      風神・雷神像は、江戸時代の頭部(火災により焼け残ったもの)に、

 

                  明治時代に造られた胴体をつなげた物を引き続き使っています。

 

   朱塗りの山門の中央には、

     

        重さ600Kgを超える提灯が吊りさげられており、これが大提灯

 

            浅草の目印・シンボルとなってます。

 

日本を象徴する風景として、

        外国人向けに日本を紹介するパンフレット、お土産のレリーフなどに採用されてます

 

 

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大提灯は、直径3.3m、高さ3.9m、重さ700kgとなった(以前の物は670kg)。

 

     鳥取県伝統工芸品の因州和紙(いんしゅうわし)を使ってます

 

         提灯の制作、補修は、京都市の高橋灯篭株式会社が担っています。

 

   大提灯の下、ひときわ目立つ名前が「松下幸之助」です

 

      この山門は勿論、大提灯もしばしば火災に見舞われてます

 

        そこで、1960年(昭和35年)

 

          パナソニックの創設者、松下幸之助が

 

            門及び大提灯を寄進して、現在の雷門が成立したのです。

  

 

                    なんと製作に3ヶ月を費やしたそうです。       

 

 

 

 その、大提灯の下を必ず見てくださいね・・・

 

   前から見るだけでは、素人・・・

    浅草の達人は、大提灯の下から、提灯を見てくださいね・・・

     下から覗き込んでくださいね・・・

 

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   龍の彫り物です

 

ものの見事な彫り物があります

 

何の絵柄かわかりますか??

 

 これは龍を掘り込んであるんですね

 

 

瑞雲に乗って、

 

  宝珠をつかむ龍の彫り物

 

 

 

 

 

 正式な由来は、何故この彫り物・絵柄になったのか??

     

    金龍山浅草寺の名の如く、     

       「聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)が示現したときには金の龍が舞ったと・・」

           いいたたえられてます

 

浅草寺(せんそうじ)は東京都内最古の寺院です。山号は金龍山。本尊は聖観音(しょうかんのん)。

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もと天台宗に属していたが 第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある

 

 

 ★雷門(かみなりもん)★

浅草寺の山門。東京都台東区浅草一丁目2番 - 3番地に位置する。正式の名称は、風雷神門(ふうらいじんもん)。

▲ 歴史▲941年、安房国の太守であった平公雅が、武蔵国への配置転換を祈願。翌年、配置転換の願いが叶ったことから、新天地での天下泰平と五穀豊穣を祈願し伽藍などの寄進を行った。初代の雷門に相当する門は、その際に造られたとされる。

▲雷門の呼称▲、江戸時代の川柳に初めて登場するが、それ以前のいつの段階から呼ばれるようになったかは不明である。知名度に関しては、雷門の名が書かれた提灯が1795年に初めて奉納されており、浮世絵の題材に用いられたことから、以降、日本各地へ浸透したものと考えられる。

  ▲建物▲山門はしばしば火災により消失しており、江戸時代だけでも2度も建て替えられている。最後の火災は1865年であり、以後、100年近く恒久的な建築物としての山門は姿を消す。明治年間から太平洋戦争後にかけては、さまざまな形態の仮設の雷門が登場したと伝えられる。いずれも博覧会の開催や戦勝記念など、時それぞれのイベント的な要素が強く、素材は鉄骨やコンクリートなどの構造もあったほか、大きさもさまざまであった。1904年の日露戦争終結時には、凱旋門として雷門が建てられている。1960年パナソニックの創設者、松下幸之助が門及び大提灯を寄進し、現在の雷門が成立した。風神・雷神像は、江戸時代の頭部(火災により焼け残ったもの)に、明治時代に造られた胴体をつなげた物を引き続き使っている。

 ▲大提灯▲

三社祭の際には、神輿が下を通るため提灯が持ち上げて畳まれる。台風接近時や強風時にも破損を防ぐために畳まれる。

提灯は、数年おきに補修、数十年おきに新調が繰り返されていたが、2003年に江戸開府400年を記念して改めて新調された。この際、提灯は従来の物より一回り大きくなり、直径3.3m、高さ3.9m、重さ700kgとなった(従来の物は670kgである)。   (提供: フリー百科事典参照)

 

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