2009.9.1
広島に一度は行ってみたかった・・
今の平和に暮らせる幸せに感謝して、
絶対に広島・長崎には訪問したかった・・・
今回の旅行の第一目的は「広島平和記念館」の見学です
展示場に入る前に、まず「アオギリの木」の紹介をされました
まったくの自分の知識に無さを実感・・・・


団体旅行でこなければ きっと、この木々を見落としたと思います
バスガイドさんが、紹介してくれました


ガイドさんのお話
「 原爆投下で、人々は自分のことで一杯
木々に事などは、まったく気遣うことすらできなかったのです
広島には75年間草木は生えないといわれてました
その翌年の春には、幹が半分になった青桐は、3本とも新芽を出しました。
原爆に負けず、たくましく生きるあおぎりは、
当時、原爆の怪我・後遺症で苦しみ
絶望のドン底にいた人々に、
大きな生きる希望を与えてくれました。
少しずつ時間がたち、気づくと
アオギリは生きていました
本来は大きく成長する木なのですが
背丈は延びません・・
しかし、生きるアオギリの木を見て、
自分達の生きるエネルギーに写しかせねたそうです」
ガイドさんの、お話をきいて・・泣いてしまいました・・・・
どんな、気持ちでいたんだろう・・
今の、広島はすごく大都市となってます・・・
この、力はどこにあるのでしょうか? 広島の人々を尊敬してしまいました
☆被爆アオギリ☆
1945(昭和20)年8月6日に広島に原爆(リトルボーイ)が投下され、
「広島には75年間草木も生えないだろう」といわれていた。

そんな中、爆心地から約1300mのところにある
広島市基町(現:中区東白島町)の広島逓信局
(現:日本郵政公社中国支社)の中庭の被爆し、
爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼け
てえぐられたアオギリ
(青桐=Firmiana platanifolia Schott. et Endl)
は、翌1946年の春に芽吹いた。
原爆の悲劇にも負けずに、たくましく育ったアオギリは、
当時絶望の中にいた人々に生きる希望を与え、
現在もその傷跡を包むようにして成長を続けている。
原爆の悲劇にも負けずに、たくましく育ったアオギリは、
当時絶望の中にいた人々に生きる希望を与え、
現在もその傷跡を包むようにして成長を続けている。
その(被爆した)アオギリは、
1973(昭和48)年5月に平和記念公園・平和記念資料館東館北側緑地帯へ移植された
(移設されたのは当初3本であったが後に1本は枯れ、現在は2本)。

被爆したアオギリ
市内東白島町の中国郵政局(旧広島逓信局)の中庭(爆心地から約1300m)で被爆し、爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられましたが、その傷跡を包むように成長を続けています。
1973(昭和48)年5月に現在地へ移植されました。

被爆アオギリ二世
平成12年(2000年)夏、
この場所から約10mはなれた植え込み
の中で自然の実生から育っていた
『被爆アオギリ二世』と確認できる
苗木が見つかりましたので
平成15年(2003年)3月19日に
移植しました。
Metisさんの 「母賛歌」
日本テレビ系「誰も知らない泣ける歌」の放映で爆発的に視聴された歌です
その、
Metisさんが、原爆の悲劇を語った歌です。スッゴク、綺麗な声です・・・
歌詞だけでも読んでください。
もしよかったら、視聴してください
http://www.youtube.com/watch?v=wKAuI6uf1cA
アオギリの木の下で・・・
祈りこめて今日も流れる太田川
夏の日に高く羽ばたく千羽の鶴
アオギリが問いかけ息をする
あの日のことは未だ解けきれぬまま
蜃気楼に奪われたあなたへの一言
誰もが明日を夢見てた頃
あなたに伝えたいことが
時代を超えてここにある
I long for wish peace at all
愛に溢れた眼差しを
静かに眠りたもう
過ちは繰り返しませぬから
浮かんでゆれる 声無き命の
叫びがあの日を語り始める
新たな時代がそこまで来ている
君の目にそれはどう映る
機械が心のありかを忘れさせる
便利が自由を変えてゆく
我らに神が試している
誰もが手をとり歩める時を
咲いては散る花のように
記憶もいつか薄れるように
だけど あなたには分かって欲しい
悲しみは未だ解けきれぬまま
I long for wish peace at all
愛に溢れた眼差しを
静かに眠りたもう
過ちは繰り返しませぬから
I long for wish peace at all
愛に溢れた眼差しを
静かに眠りたもう
過ちは繰り返しませぬから
★広島の歌グランプリ「アオギリのうた」 作詞・作曲/森光七彩
電車にゆられ 平和公園
やっと会えたね アオギリさん
小学校の校庭の木のお母さん
たくさん たくさん たね生んで
家ぞくがふえたんだね よかったね
遠いむかしのきずあとを
直してくれるアオギリの風
遠いあの日のかなしいできごと
資料館で見た 平和の絵
いろんな国の 人々や
私がみんなが考えてゆく広島を
勇気をあつめちかいます
あらそいのない国 平和の灯(ひ)
遠いむかしのできごとを
わすれずに思うアオギリのうた
これから生まれてゆく広島を大切に
広島のねがいはただひとつ
せかい中のみんなの明るい笑顔
★被爆アオギリの木★
1945(昭和20)年8月6日に広島に原爆(リトルボーイ)が投下され、「広島には75年間草木も生えないだろう」といわれていた。
そんな中、爆心地から約1300mのところにある広島市基町(現:中区東白島町)の広島逓信局(現:日本郵政公社中国支社)の中庭の被爆し、爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられたアオギリ(青桐=Firmiana platanifolia Schott. et Endl)は、翌1946年の春に芽吹いた。
原爆の悲劇にも負けずに、たくましく育ったアオギリは、当時絶望の中にいた人々に生きる希望を与え、現在もその傷跡を包むようにして成長を続けている。
その(被爆した)アオギリは、1973(昭和48)年5月に平和記念公園・平和記念資料館東館北側緑地帯へ移植された(移設されたのは当初3本であったが後に1本は枯れ、現在は2本)。
★アオギリの木 青桐★
所属:アオギリ科 アオギリ属
特性: 落葉高木。樹皮は緑色で平滑である。1年生枝は太く緑色で帯黒色の斑紋がある。葉は大形で扁円形をなし互生し、長い葉柄によって枝先近くに集まり浅く3~5裂し、もとは心臓形で縁には鋸歯はない。枝先に大きな円錐花序をつけ、多数の小さな花を開く。果実は5個の分果となり、放射状に開出し、乾いたさやで成熟前に裂開して舟状となり、縁にいくつかの球状の種子をつける。種子は球形である。
分布: 琉球、台湾、中国、インドシナの亜熱帯(まれに暖帯)に分布する。しかし、本州(伊豆半島、紀伊半島など)、四国、九州の沿海地方に半自生状態のものが見られる
用途: 材は器具材、下駄材などとし、葉はタバコの代用に使われることがある。種子は食用とする。木は庭園、街路などに植えられる。
備考: 向陽地を好み、成長が早い。アオギリは青桐の意で、葉がキリの葉に似ていて、樹皮が緑色だから名付けられた。
開花時期: 6~7月 果実成熟期: 10月
★リトルボーイ Little Boy
広島型(ウラニウム235=材料は60キロ〔サッカーボールぐらい〕)原子爆弾
リトルボーイ:1945年8月6日、広島に投下された原子爆弾のコードネーム.
直径71cm,長さ3.05m,重量4.1トン,TNT火薬12.5キロトンに相当
激しい熱線、爆風、放射線。一瞬で命を失った人、生きて死の苦しみを味わった人、今に至るまで後遺症にさいなまれる人々。数十万に及ぶ死傷者の大半が普通の市民や子供だった。
広島には人類が初めて経験する地獄絵図が...そしてその3日後の8月9日には長崎で...!!
1945年8月6日午前8時15分過ぎ。広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」機内はパニックに陥っていた。せん光、衝撃波で激しく揺れる機体。窓から広島市街を見た搭乗員は「見ろ、見ろ」と絶叫した。きのこ雲は数分間のうちに上空約1・5キロに達した。後日、ある搭乗員は「地獄を見ているようだった」「大釜の中でタールが沸騰しているようだった」と表現。「理解を超えている。われわれは一体、何人を殺したんだ」。搭乗員の一人は震える手で報告書にこう書いた(05年08月06日付『毎日新聞』)。
2005年7月にAP通信と共同通信が日米で行った世論調査によると、米国人では原爆投下を「肯定する」と回答したのは48%と、「否定」の46%をわずかに上回る。一方で「戦争の早期終結のため避けられなかった」との回答は米国で60%、日本で35%。逆に「必要なかった」は米国39%、日本63%だった。
























































































